「企業は存続してこそ社会に貢献できる」について考えてみた。



孫泰蔵さんのFacebookにこんな投稿がありました。

僕には経営者としてかねてからの疑問がある。
ほんとは違うと思いたいので、誰か下記の僕の意見に反論してくれませんか。
 
かつて世界を席巻した日本の電機メーカー、
先日取締役会で揉めたコンビニの最大手、
安くて高品質と市場を席巻したカジュアル衣料メーカー、
テレビショッピングでいちばん有名な会社、
プロ経営者を雇ったがクビにした教育産業の最大手、
そして通信などで成長した日本で最も有名なIT起業家の会社など、
最近後継者についての話題がすごく多い。
事業を大きくした創業者は、会社の成長もさることながら
後継問題がいちばんむずかしい、とよくおっしゃる。
「企業は存続してこそ社会に貢献できるのだから、
100年続く会社になるように企業文化を創っていきたい」と皆さん口をそろえる。
中には徳川幕府だって300年続いたのだから、
うちも300年だと言う方もおられる。誰とは言わないが(笑)
 
 
なんで?
なぜ存続してこそ社会に貢献できる
(=存続しないと社会に大きく長く貢献できたと言えない)、と言えるのだろうか。
存続はしていてもたいして貢献してないことだってある。
「売上は社会に貢献して顧客からもらえた対価なのだから、
売上が伸びてるあいだは立派に貢献してる証拠じゃないか」
「雇用を生み出し続けてるのだからそれだけでも貢献しているじゃないか」
などの声を聞くのだが、それはその会社がなくなって
別の新しい会社がそれを担ってもいいわけで、
「存続してこそ社会に貢献できる」というテーゼを論証したことにはならないと思う。
つまり、存続することと社会に貢献することとは関係があまりないと僕は思うのだ。
それどころか長く続いている大企業は、
分業と縦割りとルールの細分化が進んで制度疲労を起こし、
「自己疎外(=働けば働くほど、自分でやっていることが
自分のものと感じられなくなっていくこと)」を生み出しているようにしか
僕には見えない。スタートアップ原理主義者の僕には(笑)
必要以上に大きくなりすぎた企業は「自己疎外製造装置」にしか見えないのだ。
だからといって共産主義に近い社会主義を礼賛しているわけではもちろんない。
ほんとはいろいろ考えているのだが、この文脈においては、
単に「アンチ大企業主義」と分類されても僕は全然差し支えはない。
昔であれば、大資本・大組織でないとできない大きな仕事が存在しただろう。
しかしこれからの時代には大企業のアドバンテージというのは
実はあまり(個人的には「ほとんど」)ないと言っても過言ではないと思っている。
そしてそれは、人工知能とロボットの発達によって、
愕然たる事実として現在よりもさらに鮮明にあぶり出されるはずだ。
僕はそのように思っているのだが、僕が違う(それとこれとは関係ない)と思っている、
 
「企業は成長し続けて大企業となり、
そして長期間存続し続けることこそが社会に大きく貢献することなのだ」
 
ということを誰か力強く理論づけてもらえませんか。



「企業は成長し続けて大企業となり、
⇒何かを成すのに、企業規模は関係無いと思う。
中小企業でオンリーワンもいることだし。

そして長期間存続し続けることこそが社会に大きく貢献することなのだ」
⇒存続すなわち貢献というのはそう場合もあり、
貢献すなわち存続というのはすべて正しいと思う。

存続していたかた偉いというよりは、
結果的に存続したから偉かったんだねという評価に過ぎないと思う。
目的と目標の混同。


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